小児科医の医者冥利に尽きます(5)~最終章
父は小児科医として、1957年(昭和32年)まで大学病院小児科講師を務め、翌年6月に参宮街道沿いに診療所を開院しました。開院後、南郊中学校や城山養護学校の初代校医を務めました。そして、長年の学校保健への功労により、2004年(平成16年)瑞宝双光章の叙勲の栄に浴しました。夫婦で皇居に参内し、天皇陛下から勲章をいただいたと嬉しそうに話していたのが今でも脳裏に浮かびます。診療所は2011年(平成23年)3月に現在地に新築移転し、これを機に父は正式に引退しました。晩年は認知症に罹患し、施設に入所したのですが、施設でも聴診器を握り(父愛用の象牙の聴診器を持っていかせました)、ほかの入所者の方々を診察しているつもりだったようです。最後まで医者としての誇り、プライドを持っていました。
最後に 千尋様にお会いして、私にとって驚くべきことが待っておりました。
な、なんと 私の名前のルーツが判明!!!!
そうです、私の名前(千晃)は千尋様から一字を取って命名されたのです。
父は千尋様のお母様とその後も年賀状のやり取りをしていたようで、その中に父が長男に千尋さんの名前の千の字を取って名付けたとあったそうです。千尋様が、今回私を探された時、千晃という名前を医院のホームページで見て、絶対この人に間違いないと確信したとおっしゃっておられました。本来なら仮名でこのお話を記載するのが良いとは思いましたが、このことがありましたので、千尋様のご了解を得て、実名で記載させていただきました。
今回こういう奇跡的な出会いがあったことに千尋様と亡き父に感謝しています。また、若き日の父の思いを目の当りにして、感慨深く、医師としての思いを新たにしてくれました。少しでも長く地域医療に貢献できるよう、微力ではありますが、頑張りたいと思っています。